いつのころからか「子供」という表記は間違っているという話が出てきましたが、本当に誤りなのでしょうか。
「子供」という表記にどのような問題があって、「子ども」とはどのように使い分けているかについてまとめました。
背景にはある思想が見えてきます。
Q:使い分け方はどうすればいいか教えて!「子ども」と「子供」の表記の意味は?
子どもと書かないといけない?
最近の傾向として「子供」て書かずに「子ども」って書けってよく言われます。
理由は?
なにか理由があるのでしょうか。
- 以前は子供と書いていた
- 最近は子どもと書けと言われる
- 理由はあるのか
どうして「ども」を変換していないのか疑問に思っていましたが、何か理由があってわざとひらがなで表記しているみたいですね。「子ども」と書くにはどんな理由があるのでしょうか。想像がつきません。
A:使い分けについて!「子供」より「子ども」を積極的に使う理由は人権と関係?
教師の思い込み?
なぜ、「子供」でなく「子ども」と表記されるのか
という理由について、みなさんいろいろと説を書いておられますが、国立大学法人・北海道教育大学の清野 隆氏のレポートがありましたので、ご紹介します。なぜ、「子供」でなく「子ども」と表記されるのか
①…学習指導要領の学年別漢字配当表の6年生に「子供」の「供」とあるのを知らない教師が多く「子ども」と表記するものだと思い込んでいる。理解しているのであれば、「子供」と表記し、振り仮名を付して、「子供」と小学校6年生あるいは中学生になったら書くことを指導できる。
②…小学校の教科書に「子ども」と表記していることが多いので、それが学校教育で教える表記の基準だと教師は思い込んでいる。
人権擁護の視点から?
人権擁護に過敏な方々が「供」の字に付き従うという意があるということで、「子供」ではなく「子ども」という表記を勧めています。
それについては異論も出てます。ちなみに「こどもかい」の全国組織は、全国「子ども」会連合会という表記です。
- 学習指導要領の学年別漢字配当表の6年生に「供」の字が入っているのを知らない教師が「子ども」と表記するものだと思い込んでいる
- 小学校の教科書には「子ども」と表記されていることが多く、それが学校教育の表記の基準だと教師が思い込んでいる
- 人権擁護に過敏な人が「供」は付き従う意味なので「子ども」と書くように勧めている
何か深い意味があるに違いないと思っていましたが、まさか教師の思い込みであったというのは意外でした。あくまでも一説なので絶対そうだというわけではないのでしょうが。それよりも人権擁護派の方の意見だというのは説得力がある気がします。
使い分けについての考え!子ども・子供を区別することに対しての意見とは!?
拡大解釈?!
「供」は元々当て字に過ぎない。当て字の字義の一部を拡大解釈して、「子どもの人権」には発展させるのは過敏すぎまいか。
「子供」を誤記と指導する教師も、「独りよがり」のそしりを免れまい。百歩譲って「誤記」とするならば、中学国語の教科書を全面否定することになる。第一、中学校で「子供」の書き取りテストさえもできなくなるではないか。
また、「子等」→「子共」→「子供」との変化をどのように説明するのか。白紙状態の生徒に「子供は誤記」と指導する蛮勇に恐れ入るばかりである。
引用元-「子供」は誤用か
言葉狩りではないか?
ただ「子供」よりは「子ども」の方が、ソフトな印象を与えるのは否定しない。「こども」となると文章化した場合、読みにくくなる可能性が高いので「こどもの日」に限られているのもうなずける。
本来「差別語・不快語」は、原則として「使われた側の立場になって考える」ことが肝要である(共同通信社「記者ハンドブック」)とある。「子供」と書かれたのを見た「子供」は不快に感じるだろうか。「子ども主義者」だけが不快に思うとしか考えられない。こういうのを自己陶酔という。
「人」を理系では「ヒト」の使い分けているのと、「子供」の誤記とは別次元と思う。
さらに「障害者」の「害」が差別的で悪いから「障がい者」と混ぜ書きにする人もいるが感心しない。「障」を漢和辞典で引くと「じゃま・さわり・さしつかえ」という意味もある。「害」がダメなら「障」もダメにならないだろうか。
こういう「言葉遊び」をしていると、最終的には「しょうがい者」と書かざるを得なくなる。
辞書を引こうではないか。もしかしたら、自己陶酔者は教科書はもちろん辞書まで否定してしまっているのかもしれない。保育関係では「遊び」でなく「あそび」が主流とか。
こうなると「言葉遊び」を通り越して「言葉狩り」と言わざるを得ない。
引用元-「子供」は誤用か
- 「供」はもともと当て字であり、子どもの人権問題に発展させるのは拡大解釈に思われる
- 「子供は誤記」と教師が指導するのであれば、中学国語の教科書も否定していることになる
- 「子供」よりも「子ども」の方がソフトではある
- 子供が「子供」と書かれているのを見て不快に感じるわけでもなく、行き過ぎると言葉狩りではないのか
「子供という表記はおかしい」と言っている人は何か勘違いしているのかもしれませんね。もともとは子等と書いていたのが子共となり、子供という表記になったという説が正しければ、人権問題は関係ないように思えます。
文部科学省が統一化に動き出した!?「子ども」は「子供」の表記へ!
「子供」に統一する流れ
「子ども」と「子供」、書き方としてはどちらになじみがあるだろうか。ここ数年、差別助長を防ぐため「障害者」の表記を「障がい者」に見直す動きが広がっているが、実は「子供」も「差別的な印象を与える」として長らく敬遠されてきた。
行政でも「子ども手当て」「子ども・子育て支援法」など「子ども」が優勢だが、ここにきて文部科学省が「子供」表記の統一に乗り出した。
「子供」のイメージは「お供え物」「お供する」
文科省が2013年6月下旬、公用文中の「子ども」の表記を「子供」に統一した、と複数の新聞が報じた。同省の公文書では常用漢字を使うのが原則だが、「こども」については漢字の「子供」ではなく「子ども」が多用されてきた。「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、差別的な印象を与えるというのがその理由だ。
引用元-全文表示 | 「子ども」は「子供」で統一します 文科省「差別表現でない」と公文書で使用 : J-CASTニュース
- 子供は差別的な印象を与えるからと長らく敬遠されてきた
- 文部科学省は「子供」へ統一表記をする構えである
- 今まで「お供する」「お供え物」のイメージから「子供」を避けていたが、文部科学省は「子供」表記に統一した
これまで公式文書では「子ども」と表記していたはずが、ここにきて「子供」と表記するようになったようなのです。どういうきっかけでこのような変遷に至ったのか
好きな方を使えばいい!?「子ども」と「子供」あなたの選択とは…?
子供の「供」はお供の「供」?
子供が“子ども”になる時、日本は終わる
さて、仮に百歩譲って「供」の字は親の「お供」を連想させるという説を認めるととしても、まだ疑問は残る。
子供は本当に「供」でないのだろうか。
「お供(お伴とも書く)」とは、ある人に付き従って行く人の意味である。
子供はいつから親に付き従わなくてよくなったのだろう。
子供が「子供」でなくなった時、それは「子ども」が親の指導に付き従わず、「人権」の名の下に勝手気ままな行動をして人に迷惑をかけたり犯罪を引き起こしたりする時代であり、それはまさにこの現代社会なのだ。
親は子どもをぶたないもの?
話は少し脱線するが、この頃の「子ども」の漫画によると、親とは「子ども」を決してぶたないものらしい。
「殴ったね!? 親父にもぶたれたことないのに!」という有名な漫画の台詞が、前にCMで流れていたが、子供を決してぶたない親父なんて、いるのだろうか。
子供が悪いことしたら、ぶつくらい、当たり前だと思っていたが、違うのだろうか。
(児童虐待被害者からクレームの付く前に補足しておくが、子供が悪いことしてないのに、言いがかりを付けてぶつとか、単なる憂さ晴らしでぶつとかは問題外だけど。)「古い思想だ」と笑うがいい。
でも、子供を決してぶたない親父なんて、やっぱり、私には想像できない。
誤解して欲しくないのだが、誰かが「子ども」と書いているからと言って、即、言葉狩り賛成論者と決めつけるべきではない。
差別うんぬんという理由ではなく、(かつて当用漢字音訓表外の読みという理由で「友達」を「友だち」と書いていたのと同じく)「子供は宛字なので平仮名で書く」という方針だったり、「子ども、と書いた方が柔らかみが出る」という理由から、どちらかというと「子ども」という表記の方に親しみを持っている人も少なくない。
私自身は「子供」表記を主に使っているものの、「子ども」と書くのは絶対駄目だとまでは言わない。
私がむしろ問題に思うのは、他人に「子ども」表記を無理矢理押しつけることである。
- 子供の「供」はお供の「供」を連想させるという説を認めるとして、子供は親に付き従わなくてよくなったのか
- 子供が親の指導に付き従わず、人に迷惑を掛けたり犯罪を引き起こしたりする現代社会と「子ども」と表記するようになったことが無関係とは思えない
- 親は子どもをぶたないらしいが、それでよいのか
- 他人に「子ども」という表記を押し付けるのは問題ではないかと思う
児童虐待等が問題になり、「子供と書く精神が引き起こしている」等と「子供」表記が槍玉に挙がったことも考えられますが、人権擁護を意識し過ぎて、子供のことを親が指導しなくなればそれはそれで非常に問題ですよね。どちらの表記も間違いというわけではないので、自分の信念で選んでいいのかもしれません。