平安時代の貴族の遊びとはどんなものでしょうか?
平安時代の貴族は、ワークライフバランスはよかったみたいですね。教養を身に着け社交的であることがビジネススキルとして必要だったみたいです。
平安時代の遊びとしては、蹴鞠、偏継ぎ、貝合わせなどがあったみたいですね。形を変えて現代にも残っているものもありますね。
仕事と遊びの両立で充実?!平安時代・貴族の生活とは
平安貴族には自由時間こそが大切
お役所である宮中に勤務し、国政に関わることや事務的な雑務をしていました。
が、現代の政治家や公務員とは違って、当時の貴族たちはそれほど仕事熱心とは言えません。
午前7時ごろに出勤をし、およそ4時間程度で終業となったようです。
自宅に戻ってお昼を食べて、ゆっくりと夕飯まで待ち、食べて眠くなったら寝てしまう。
そんな優雅な羨ましい生活を送っていたのです。
が、平安貴族にとっては仕事以外の自由時間こそが大切な部分だったようです。
教養を身に着け、社交的であること
教養を身につけて社交的であることが、ある意味一番大切なビジネススキル。
空いた時間には和歌を詠んだり、蹴鞠を蹴ったり、月見をしたりと、一見遊んでいるように見えて実は自分磨きをしていたわけです。
平安時代においては、遊び的なものも仕事に近いものだったわけです。
無論、それだけで成り立つわけもないので、仕事は様々あったようですが、階級と官位などによって事こまかに定められていて、多くの貴族が仕事を分担していたようなので、現代のようにかつかつと仕事をしなくても良かったようです。
今も昔も仕事の細分化はあったようですね。
- 平安貴族:宮中に出勤し国政にかかわること、事務的な雑務を行う
- 朝7時ごろ出勤、4時間ほど勤務して終業→仕事以外の自由時間こそ大事
- 大切なビジネススキル→教養を身に着け社交的であること
- 空いた時間:一見遊んでいるように見える→自分磨きをしている
- 階級・官位ごとに仕事が細分化
昔の日本はゆったり優雅な暮らしなのに、一体いつから朝から晩まで休みなく仕事に追われるようになったんですかね。もう一度平安時代に戻ってみてはいかがでしょうか?まぁ無理だけど(笑)
その①蹴鞠 ~平安時代の貴族の遊び紹介~
蹴鞠には勝敗がない
蹴鞠には本来は勝敗がありません。
相手が蹴りやすいように心がけて、次々と鞠を渡すようにします。
相手が蹴り損なうと、渡し方が悪いとされるのです。
つまり競技ではなく、職場の昼休みの屋上バレーボールみたいなものです。
ルールとしては「三足以上蹴る」というお約束があります。
蹴鞠でのお約束
これは一足目は貰って受ける鞠、二足目からは自分が蹴って楽しむ鞠、そして最後に相手が蹴りやすいように渡す鞠ということです。
足を高く上げて足の裏を見せることは品がない所行とされました。
また周囲に植えた木(本木)の一番下の枝よりも高く蹴る必要があるとされました。
こうしたルールは初期は明確でなかったようですが、平安後期頃から形式化されたようです。
12世紀になると難波・飛鳥井家によって「蹴鞠道」の儀礼が生まれ、細かいしきたりと競技ルールが生まれました。
正式な蹴鞠場は柳・梅・松・楓の4本の「式木」を3~4間の間隔をおいて植えます。
地植でない木は「切立」と言います。
こうして囲まれた競技場を「懸(かかり)」と呼びます。
引用元-平安のあそび
- 蹴鞠には勝敗がない:相手が蹴りやすいように心がける
- 3足以上蹴って相手に渡す→1足目:トラップ、2足目:リフティング、3足目:パス
- 足を高く上げて足裏を見せる→品がない
- 12世紀に蹴鞠道の儀礼生まれる:細かい仕来たり等のルール制定
12世紀に初めて仕来たりやルールが決まったということは、それまではハウスルールだらけだったんですね。そもそも蹴鞠ってどこから伝わったんでしょうね。やはり半島からなんでしょうか?
その②偏つぎ ~平安時代の貴族の遊び紹介~
漢字の偏と旁を使った文字遊戯
偏つぎとは漢字の偏と旁(つくり)を使っての文字遊戯で、主に女性や子供が漢字の知識を競うために行った遊びである。
その方法は未明であるが、旁に偏を付けて文字を完成させる、詩文の漢字の偏を隠し、旁だけを見せてその偏を当てさせる、また逆に偏だけ見せてその字を当てさせる、一つの偏を取り上げてその偏の付く漢字をいくつ書けるか競う、などと思われる。
偏と旁とを組み合わせて完成させるゲーム?
平安時代、室内で流行していた遊びに「偏継(へんつ)ぎ」というのがあります。
「偏」は「のぎへん・にんべん」なんていうあの「偏」。
漢字を使って遊ぶゲームです。
どんな遊びか詳しくは分かっていないようです。
(1)漢字の旁(つくり)に偏をつけて字を完成する遊戯、(2)旁を隠して偏を見て文字を当てる遊戯、(3)ある偏の字を、いくつ知っているかを競う遊戯、などいろいろな説があります。
どれが正解なのか。
「源氏物語」「栄花物語」などに描かれているところでは、主に少女がする遊びのようで、男はまあそれに付き合う程度です。
- 偏継ぎ→偏+旁で完成させる、偏だけで文字を当てる、偏の付く字数を競う
- 少女がする遊び、男は付き合う程度
当時の幹事は、現代とはやはり違うんでしょうね。字体も数も。こういう遊びをするということは、漢字を知らないとできないわけですが、皆さんどこで覚えたんですかね。この時代は、女性はひらがなしか書けなかったはずでは?
その③貝合わせ ~平安時代の貴族の遊び紹介~
平安版神経衰弱?
「貝合わせ」は文字通り、並べた多数の貝殻の中から一対の貝を発見する素朴な遊びです。
使われる貝は大蛤で、貝の『 対になっている貝のみ合う ( 閉じる ) 』という性質を用いたものです。
平安時代の王朝文化の発展と共に、この遊び道具も華やかになり、貝の内側には蒔絵技法による絵が描かれ、宮中や貴族の女性達の間で親しまれました。
源氏物語が題材に
当時一世を風靡していた、源氏物語から題材を得た絵が主流になっていました。
物語の各場面を一対の貝に描き、トランプ遊びの「神経衰弱」のようにして遊んでいました。
源氏物語は教養として身に付けておくべき文学でしたから、遊びながら学習するというような要素も合わせ持っていたようです。
蒔絵技術が全盛を極めた桃山時代~江戸初期にかけては、当時の権力者・有力大名家の姫達の蒔絵婚礼調度品の一つとして、「貝合わせ」とそれを入れる「貝桶」が含まれるようになりました。 ( 雛道具として揃えられていることもあります )
『 対の貝のみ合う 』ということから、夫婦和合( 女性の貞節を象徴 )という意味合いに重きがおかれました。
引用元-貝合わせ – 能絵館 Noh-e
- 貝合わせ:一対の貝を見つけるあそび
- 貝の内側:蒔絵技法による絵が描かれた→源氏物語を題材にした絵が主流
- 源氏物語:教養として身に着けておくべき文学→遊びながら学習する要素も
- 婚礼道具に貝合わせと貝桶:対の貝のみ合う→夫婦和合の意味
貝の内側に蒔絵を施すなんてすごいですよね。小さい上に湾曲しているんですから。そして絵の題材は源氏物語だそうで。豪勢ですよね。源氏物語が身に着けるべき教養って、そんなのを子供の頃から学んでいるんですか。ある意味すごいですね。
実は現在に残っているものもあった!平安時代の貴族の遊びの名残はこんなところに
現代にも残っているもの
平安時代の遊びではありますが、現代にもほぼそのままの形で継承されているものがあります。
たとえばコマは、今でも子どもたちに遊びとして親しまれています。
アジア諸国で広まった遊びですが、日本には中国を通して輸入されてきました。
また、石投という遊びは今でいうところのお手玉の原型です。
その名の通りいくつかの石を地面において、一つを空高く放り上げます。
それが落ちてくる間に足元の石を拾って放った石もキャッチする、というルールとなります。
ジオラマ作りもあった
実は平安時代にはジオラマを造るという遊びもありました。
州浜と呼ばれるもので、台の上に砂浜を作り自然の風景を生み出すというものです。
もともとは装飾として用いられて、プレゼントとして喜ばれるものでしたが、徐々に趣味の遊びとして楽しむ人が増えてきたとされています。
国風文化によって日本人独自の文化が花開いた平安時代ですが、それを象徴するような遊びと言えるでしょう。
- 平安時代の遊びが現代にも:コマ、石投→お手玉、州浜→ジオラマ
- 平安時代:日本人独自の文化が花開いた
コマも最近は見なくなりましたね。よくてベイブレードですか。お手玉はともかく、州浜?ジオラマは模型で作る人はいますよね。でも、これくらいしかないもんですか?それはそれで寂しいですね。